今の若い人たちは、、、、と言うのは老害発言?
いつの時代も、『今の若い人たちは、、、』とか『あの古い世代の考え方は、、、』とジェネレーションギャップを懐疑的な目線で話すことは絶えません。
昨今は、ダイバーシティすなわち多様性を尊重すべきと言う風潮が強くなり、こう言った時代を区分けした考え方の対立に批判的な見方が多いです。

今の若い世代は〇〇だ。という発言そのものが、多様性を尊重していない。という見方をされてしまうのです。
しかし、私は多様性という言葉の本質はそこではなく、このような批判は安易だな。という見方をしています。
私の思う多様性、世代間の考えの融合について独断と偏見を記事にします。
世代間の差は、間違いなく存在する
前提として、ジェネレーションギャップというのは間違いなく存在します。
考え方、ストレス耐性、対人スキル、〇〇パフォーマンス、お金への価値観などを切り口にすると明確な差があることは間違いないでしょう。
ただし、これはどちらが優れているか。ということではありません。もはや世代の差は人種の差、文化の差と言って差し支えないでしょう。
ダイバーシティとは
ダイバーシティは性別、国籍、年齢、価値観など、属性の異なる様々な人々が共存する状態。
を指します。今でこそよく耳にするようになりましたが、これを尊重するのは、人として当たり前と思って良いでしょう。
世代間差の歪み合いが無くならないのは?
ダイバーシティをよく耳にするようになっても、世代間の歪み合いが無くならないのは、仕方ないことかもしれません。
上にも書いた通り、世代が違えば人種がちがうのです。自分の属性は安全域、その他は未知のゾーンとして、脅威と感じてしまうのは人間の性でしょう。
結果として、未知のものに批判的な見解を示してしまうのです。
世代間差は埋まらない
生まれた時代により醸成された価値観を合わせようとする方が無理でしょう。
しかし、だったら多様性を尊重するのは無理だよね。という話ではありません。
異なるものは異なるとして、理解し、それぞれお互いがどう歩み寄れるかの妥協点を探すのが、多様性の尊重ではないでしょうか?
無理やりどちらかの価値観に合わせるのではなく、折り合いをつけて融合すれば、また次世代に新たな価値観が生まれるでしょう。
今の若い人たちは、、、
という発言が老害かと言えば、私はそんなことはないと思っています。
世代が違うので、違う世代から見た、その世代への見解というだけです。
『今の若い人たちは、、、、』という発言は、限りなく正解を吐き出していると思います。そこに批判的な見解が入ると軋轢が生まれますが、事実と解釈としてそこに存在するのは仕方ないことです。
私が若い世代に思うこと
出世欲がない
これは事実(というか傾向)として間違いないでしょう。理由として、昔は出世してお金がないと、豊かなものを得られなかったからです。
逆に今の時代は、お金を通じて得られるものの方が、本質的に人生を豊かにするものではない。という価値観で、こうなる課長=罰ゲームという考えになるのは必至でしょう。
ストレス耐性がない
これもあると思います。この理由は、デジタルのせいだと私は思います。
24時間デジタルに触れている今の若者は、情報処理量が多く、脳が疲弊しているものと考えます。
常に脳がシャトルランしている状態で、仕事の時間は更なる負荷がかかります。
デジタルは、一定量なら息抜きとして効果的ですが、半依存状態になると逆に疲労を加速度的にしてしまいます。
自己主張がない
これも間違いないでしょう。しかし、これはコミュニケーション能力がないというわけではありません。
むしろ今の若い人たちは、多数から可能な限り批判されない振る舞いができ、空気を読む力に長けている。と思います。
これは物心ついたときにはSNSがすでに普及されており、一対多数の構図の中で生きてきたからではないでしょうか。
このように価値観の世代間差は間違いなく存在し、お互い未知の領域が衝突しあうのは仕方のないことです。
だからこそ、ダイバーシティの元に違うことを理解した上で歩み寄ることが必要なのです。