若くみられることは必ずしもプラスではない

先日、35歳を迎えた私ですが、いよいよ若手と言われなくなりました。
土俵にもよりますが、35歳は若手から卒業する一つの節目とも呼べる年齢でしょう。
それが、会社の幹部以下の存在であれば尚更です。
特に女性は若くみられることを美徳として考える傾向が強いと思いますが、私は必ずしも若くみられることが良いことだとは思いません。
今日は『若くみられることがマイナスに働く側面』を記事にします。
若くみられる人とは?
私は35歳を境に若くみられることからは意識的に卒業した方が良いと思っています。
ネガティブな視点かもしれませんが、私が若く見える人に思うことは以下の通りです。
- 苦労していないのかな?
- チャラチャラしているのかな?
というのも、その人の苦労や通ってきた茨の道は、その人の表情や外見に現れます。
外見は1番外側の内面
と言われるように、その人の人となりは外見(よく言われるところのオーラ)に出ると私は思います。
このオーラ、やってきた感、苦労の可視は、『若い』とは対極にあると私は思うのです。
『若い』をマイナスに捉える視点
大人の世界で『若い』というのは、『これから頑張れよ。もっとたくさん学んで成長しろよ』という『期待』を表現しているというのが私の持論です。
言ってしまえば、『今はまだ、能力足りてない』ということを間接的に表現しているように思えます。
若くみられる必要はない。自分が若々しく振る舞っていれば
私は若くみられる必要はないと思っています。それは上にも書いた通りです。
その一方で、『歳を重ねた貫禄が前面に出ていればよいのか?』と言えばそうではありません。
では、どうあればよいのか?
私の答えは『若々しくいること』です。
若々しい。というのは、外見以上に『振る舞い』に現れます。
若々しい振る舞いとは
私の思う、歳を重ねた上で若々しいベストな振る舞いは以下の通りです。
- 声のトーンがひとつ高い
- ゆっくり適切な声量で話す
- 敬語が適切
- 背筋が伸びている
- 歩き方がキレイ
- 目がギラついている
- 要所要所で笑う(比較的大きな声で)
このように、大人になっても若々しい人は、それが所作に現れます。
やってきた感
仕事を任される人、信頼できる人というのは、やってきた感がある人です。
そしてそれは表情や所作、オーラに出ます。
このオーラは一朝一夕では身に付かず、日々持続的に学んだ証であると思います。
身の回りのできる人を見ると、若々しくはあっても、若く見えることはないのではないでしょうか?
実はモテるおっさんはこの辺のオーラでモテている可能性があります。
決して若くはなくても、若々しくギラギラしており、それでいて深みがあります。
人間としての深みを出すために、学びと経験値を積んでいきましょう。