目標設定を名詞にするとモチベーションが切れる瞬間に出会す

3/9と言えば卒業ですね。
卒業式・卒園式に参加された方も多いと思いますし、中にはご自身が卒業されたという方もいらっしゃるかもしれません。
卒業といえば、節目。
3〜4月は何かと節目を感じる時です。
ところで皆さん、今年度の目標はありましたか?達成できそうでしょうか?
今日は、目標設定を名詞にすることの弊害を記事にします。
目標は短期間と中長期の両方を持つべき
まず、目標設定には4種あると思います。
- 具体的な行動目標
- 達成指標
- 具体的な何か(要は肩書き)
ここまでは容易に想像がつくと思います。
まずは3種について少し詳細に。
具体的な行動目標
今年度は○○をしたい。例えば、
- 今年こそはダイエットしたい
- 今年こそは読書を習慣化したい
などです。
達成指標
上記でいえば
- 夏までに-10kg、44kg目標
- 月3冊以上、年間50冊
などです。
具体的な何か
これは率直に肩書きです。
チームリーダー、課長、部長、社長などですね。
これらはいづれも『短期的目標』であると私は思います。
今はまだ20代で、10年後、部長になる!は10年のスパンがある方長期的だろう。と思われるかもしれませんが、そういう意味ではありません。
ここで、4種目の目標の登場です。
4つ目を持たないと燃え尽きる
実は、上に書いた3つの目標はそれを強く願える人であれば、案外達成できてしまうものです。
そもそも、これを目標設定できる人時点でその達成確率はかなり高くなります。
自分が10年後には・・・・と思っていたとしたならば、案外5年後にそれを達成できているかもしれません。
では、5年後、それを達成してしまったらどうなるでしょう。
10年かかると想っていたはずが、5年後、課長になってしまった。とします。
その先に広がるものは、満足や優越感よりは『肩透かし』です。
なんだ、こんなもんか。という。
そうして、その先に目標がなくなり、一気に燃え尽きてしまう場合があります。
4つ目:どうありたいか
お待たせしました。4つ目の結論は『どうありたいか』です。
『⚪︎⚪︎観』とも言い換えられるかもしれません。
つまり、課長になったら、
自分はその先でどんな活躍をしているのか。
どんな価値観を持って仕事に臨んでいるのか。
どんな人間形成をしたいのか。
このように仕事観を持って、3種の目標を設定しなくてはなりません。
どうありたいか。は断続的なものであり、達成というゴールはない
どうありたいか。というのは抽象的なマインドあり、概念的な感覚です。
つまり非常にボヤッとしています。
目標は具体的に!とよく言われるかもしれませんが、具体的にしなくてはいけないのは上述した3種です。
この3種は何にルーツを持っているのか。そのルーツこそが『どうありたいか』です。
3種がこの『どうありたいか』に紐つかなければ、目標が目的化してしまうでしょう。
読書を習慣化してどんな人間になりたいのか。読書することが目的ではありません。
痩せてどうなりたいのか。美しくありたい、異性にモテたい。ここがあるからこそダイエットという手段が持続可能な目標にになるのです。
美しくありたい。というのは持続的であり、ゴールではありませんね。
目標設定ははボヤッと、目標達成の手段を具体的に
手段、つまり上述した3つは短期的であるため、具体的に描くすべきです。
一方、『どうありたいか』は中長期的であるため、解像度を高く持たない方が良いです。
ここで解像度を上げてしまうと、視野が狭くなります。結果、燃え尽きてしまします。
このように、目標設定を名詞(具体的なもの)にしてしまうと、中長期的にモチベーションを維持できなくなるシーンに出会します。
もっと抽象的に、起こそうとしている行動の先に『どうありたいか』を置き、そこに紐ついていることが重要です。
『どうありたいか』があれば、目標設定を誤ることがなくなり、中長期的にモチベーションを維持でき、燃え尽きることもないでしょう。
ぜひ、次の4月からの目標設定(MBO)の参考にしてください。