小学生低学年サッカーの指導〜子供との関わり方〜
今日は、監督の指揮を見て気づいた、私の子供との関わり方の反省点を忘備録として執筆します。

私の息子は小学校2年生で、スポ少のサッカー部に所属しています。土曜日は町主催のフットサル大会があり、1-2年生のチームとしてエントリーしてきました。
私も、縁あって指導者をさせてもらっているので、コーチとしてベンチ入りしました。
息子の所属するチームは人数が多く、練習も試合も学年単位で行われるため、監督に指導を受けることはあまりありません。
今回の大会は、珍しく監督が顔を出してくれたので、指揮をとってもらう運びとなりました。
監督の指導は、考えさせる、話させる指導。
小学校低学年の子どもたちは、まだ『何がわからないのかわからない』という状態なので、今はまだ、正解を教えてあげるべきだろう。
と先週までの私は思っていました。でも、それは半分不正解だと気付かされたのです。
子どもたちも明確に意思があり、想いがあり、身体を動かしている。私たち指導者にやらされてプレイしているのではない。
そう、私の指導はティーチングにより過ぎていたのです。
サッカーは瞬時の判断が問われるスポーツ。たくさんの選択肢の中から、自分で最適解を判断しなくてはならない。
サッカーが上手い。というのは、判断の質が高い。と言い換えられると想います。
監督は正解をすぐに教えない。問いかけをする。
やらせない。自発を促す。
指導者に必要な、時に我慢と呼べるスキルを持っていました。
監督の指導により、それまで消極的だった私の息子は、積極的に走るようになり、要所要所でチームに貢献しながら、ついには試合での初ゴールを決めることができたのです。
そして、息子は、その成功体験も相まって、ニコニコしながら、『今日は楽しかった!』と言ってくれました。
上手くなってもらうこと、サッカーを理解させることに自然と私のマインドは移り変わっていた。それが息子のためだと思っていた。いわゆる親のエゴ全開で、恥ずかしい限りです。
最初はただ単純に息子にサッカーを楽しんでほしかった。ということを思い出しました。
ティーチングも必要ですが、使い所を間違えると自己肯定感や、自分で判断する機会を損なうのかもしれません。
指導者=教える人。
この固定概念に、無意識的ではあれ、私は囚われていたのかもしれません。
自分で考えさせる。その中で解を導くことを手助けする。これが指導者の役割で、それは低学年でも当てはまる。
指導者という立場になってからは、まだ一年未満ですが、それでも私の指導者観を変えてくれた1日でした。