働き方改革による精神論の衰退

働き方改革が騒がれる令和。
ブラック企業やパワープレイの方針が減って来たため、従業員にとっては働きやすい世の中になったと思います。
一方、管理職や経営者としては、従業員一人当たりのアウトプットが減る一方で、固定費が上がるのに売り上げが上がらない。
そんな状況に悩まされていませんか?
申し訳ありませんが、これを解決する記事ではありません。
今日は、働き方改革の中で失われつつある精神論の重要性を解きたいと思います。
精神論が失われたのはなぜ?
タイトルも『精神論の衰退』とさせていただきました。(私の偏見かもしれませんがご容赦ください)
それはなぜか?
働き方改革は非合理な部分にメスを入れている側面が強いからだと思います。
昨今よく目にする
- ゼロベースでの見直し
- 業務プロセスの最適化
- 属人化から仕組み化への転換
これらが経営層の(表向き)マジョリティになりつつあるからです。
つまり、非合理にメスをいれ、合理的に業務を整合する。と言う動きになります。
働き方改革は乱暴に言えば、『精神論なやパワープレイから脱却し、合理的に、効率的に仕事をしましょー』と言い換えられると言うのが私の解釈です。
精神論は不要?
私は精神論は必要だと思います。
また、パワープレイも必要だと思います。
いくら合理的なプロセスの再構築や効率的なフローを構築したとして、常々不測の事態が発生します。
この措置に瞬間的パワープレイが発動できないと、後工程に甚大な影響をきたす場合があります。
ここは精神論でなんとかカバーしなくてはいけない場面です。
しかし、過剰な仕組化や合理性だけを重視すると、瞬間的にパワーを発揮できない可能性があります。
そもそも不測の事態を最小限にすれば,良いのでは?
それはその通りです。
可能な限り想定リスクをヘッジして、滞りなく業務フローが回るシステムの構築が、よい仕組み化です。
しかし、これまでなかった仕組み化を施す時、合理的にフローを見直す時。
つまり新しいことを実施するときには不測の事態はつきものです。
むしろ、不測の事態を恐れていつまでもリスク評価ばかりしていたら改善には向かいません。
走りながら修正する
修正時には瞬間的に出力をあげる
そして出力を上げるのは合理性ではなく、非合理を受け入れる精神論です。
そもそも会社は合理性だけで回らない
会社の重要な意思決定は、必ずしも合理性に基づかないことがあります。
なぜなら、ある部署の合理は、別の部署にとっての非合理になることがあるからです。
経営層はこれら全てを包含して、その時点で最も最適な解を下します。
末端はそれに巻き込まれ,非合理な処置を行うことがあるでしょう。
しかし、そこで精神論を出さないと会社として立ち行かなくなるのです。
非合理に基づく会社の判断は以下の記事でも触れています。
精神論は枯渇してはいけない
働き方改革により、作業者負荷が低減される合理的な仕組み化には賛成です。
ただし、これは日常というルーティーンワークに相手こそ言えることであります。
重要な意思決定に基づく仕事や、なにか大きな変革をおこなうとき。
ここには絶対に非合理的な要素がセットで入ります。
そしてこれを解消するのは非合理的な精神論です。
令和の若者は、賢い。空気を読む力にも長けている。
ただ、賢くなりすぎているがあまり、精神論を軽視していませんか?
令和の若者をマネジメントする人にも言えることです。